何を怖がっているの


 クラボウの社員に対する思想差別是正を求める人権裁判で、裁判所は賃金差別を是正する和解を勧告していましたが、3月31日クラボウが「遺憾の意」を表明し、「今後、憲法、労働基準法に従って従業員を公平・公正に取り扱う」との内容で和解が成立しました。(クラボウが表明 人権裁判和解
 商業新聞でも報道されていましたので、目に留まった方もおられるのではないでしょうか。

誰も分かっているはず 思想信条で差別してはならないのは

須佐・北谷

木村邸の枝垂れ梅

 憲法には思想信条の自由があるとはっきり示されています。その思想信条によって差別してはならないと言うのは、民主主義社会の原則です。こんなことをことさらいわなくても誰もそれを認めているはずです。
 なのになぜ、共産党を差別し攻撃するのでしょうか。「共産党が怖い」からなのでしょうか。今回はクラボウと言う大企業で行われていたものですが、私たちの日常の生活の中でも、「ありゃあ共産党じゃけえのう」「どうせ共産党じゃあや」「なして共産党なんか」など、共産党に対して非常に差別的な態度をとる人がいます。特に萩市を含む山口県北部のではよくあることです。

「共産党系」と言うだけで「思考停止」 

 私たちがどんな発言をしても、「共産党が言うこと」といって、まともに取り合わないこともたくさんありました。
 萩市で数年前、新日本婦人の会が萩市議会に出そうとした市民病院に小児科設置を求める請願は、誰も紹介議員になりませんでした。その理由は、新日本婦人の会が「共産党系」と言うことだったそうです。そういえば、わたしの田んぼで毎年行っている田植のときにも思い当たる節があります。
 ちょうどある報道関係者が取材に来ていましたが、参加者が新日本婦人の会ときくと取材をやめてかえっていきました。私が、どうしてかと聞くと「共産党関係としてリストに載っているから」と答えました。「共産党系」というリストがあるということも驚きですが、それで取材はしないと言うのも異常な話です。

(この話は後から謝罪がありました。すぐに認識を改めた本人の柔軟性と指導された方々の良識を、私はすばらしいと思っています。)

 「共産党系」というのは共産党員がたくさんいる組織、団体のことをいうのでしょうか。新日本婦人の会は、政党から独立した団体です。思想信条の自由を尊重する団体で、共産党支持を押し付けるようなことは全くありません。一致する要求では、どんな団体とも共同することは当然です。
 「共産党系」と言うだけで、思考停止状態です。内容がどんなものなのか、全く判断しないわけです。ことの良しではなく、名前だけでの判断です。それは固定化した観念で物事を見ると言うことでしかありません。
 今でこそ、部落差別、ハンセン病差別は間違いだということが、共通の認識になってきています。しかし、こういう差別が、社会の発展をどれだけ阻害し、人々を苦しめてきたでしょうか。

差別=支配の道具      

 「差別」=支配の道具というのは、歴史の常識です。日本共産党に対する「差別」も、全く同じです。「共産党系」とするだけで、思考停止させれば、支配者にとって有利な状況が作り出せるわけです。逆に言えば、「支配される側」はいつまでも不利な状況だと言うことです。と言うことは「共産党は怖い」と言うのは、支配する側にとっての話なのではないでしょうか。
 新日本婦人の会が出そうとした市民病院への小児科の設置を求める請願が、議会に取り上げられなかったことで、対策を怠ってきた行政は時間稼ぎをすることができたわけです。その間、困ったのは市民です。しかし、ことは誰もが認める筋の通ったことだったので、無視することはできません。この3月末には病棟の増築まですすんでいます。
 結局、市議会は「新日本婦人の会=共産党系」と言うだけで、誰も紹介議員にならなかったわけです。請願の内容は、その後の市や市議会の動きと同じなのですから。これが思想差別ではないのでしょうか。良識があるといわれる市議会でそういう状態なのです。

反共意識をなくすことは住民の利益に 

 共産党は、「住民が主人公」を自治体政治の基本的姿勢として掲げています。住民にとって利益のある提案を率先してすすめています。「共産党じゃけぇダメ」と切りすてることは、「住民の利益はダメ」と切りすてることになりませんか。
 逆に、共産党に対する条件反射的な「反共意識」をなくすことは、住民の利益につながることだと言えませんか。