
我が母校、弥富中学校
山口県阿武郡須佐町大字弥富下 に生まれる。
弥富保育園、弥富小学校、弥富中学校と、まぎれもない弥富育ち。
このころ確実に弥富への深い思いが形成された。。
山口県立萩高等学校入学
親元を離れ萩市内に下宿。一人暮らしに期待し、弥富を離れることに何の寂しさも感じなかった。それから12年の間、一人暮らしがつづき、話相手がいないため独り言に磨きをかける。
高知大学農学部入学
土佐の人々の屈託のない明るさに気分爽快。独特の方言に若干のカルチャーショックを受ける。楽しくも苦しくもあった学生生活。たくさんの人に助けてもらった。あの頃の友人とは今も親交がある。一生の付き合い。
卒論で野菜の流通を取り上げ、市場流通だけでなく産地直送の新しい販路展開を主張。
理論的・科学的な裏づけがある活動に共感。さらに戦争反対や民主主義を戦前から主張し、命がけで貫いた不屈性は、どの党にも勝るものだと思った。
大学は卒業したけど就職できず、なんとか研究生で在学させてもらう。
大学院を目指す同級生とぶらぶらしていたが、中学校の非常勤講師として高知市内の中学校に赴任。全校生徒1000人。ここで対女性恐怖症がすこし軽減する。
高知市立一宮中学校に採用され。理科を担当。部活は女子バドミントン。
女の子の真実を見た。1年目は非常に苦労したが、2年目に「仮設実験授業」に出会い、目が覚める。
クラスも少しずつ落ち着いたいい感じになってきた。個性を認め合う連帯感あふれる仲間に成長した。
教員をやめ7年の青春時代をすごした高知をあとに、萩に帰る。日本共産党北部地区委員会に勤務。

須佐町議会議員1年目
4月の統一地方選挙でわが愛する郷里須佐町の町議選挙に出馬。何の準備もしなかったのに、何と3位で当選。若干27歳の若造へのみなさんの熱い期待を感じ、気持ちが引き締まる。
以来、みなさんとともに町づくりに励み、あっという間に18年が過ぎる。
この間に、子どもの医療費無料制度の拡充や毎日給食など高齢者福祉、町づくりに積極的な提案を行ってきた。
1987年1月から毎週発行している「すさ民報」は950号を越えて1000号に迫ろうとしている。
須佐町が廃止。合併の過程で誰が本当に町を愛していたか、人々の暮らしを真剣に考えていたのかわかった。しかし、町はなくなり、40km離れた萩市、旭村、川上村、福栄村、むつみ村、田万川町と合併。在任特例で1年2か月間の萩市議会議員となる。
田舎の議員が「市議」とはどうもしっくりこない。

2006年4月23日投票日
合併後初めての萩市議会議員一般選挙で、1436票で第3位当選。
しかし残念ながら旧須佐町から1人しか当選しなかった。