スポーツの秋 楽しむことを最優先に


歳の所為で骨折?
 スポーツの秋といわれますが、今年の秋は全てのスポーツに参加できませんでした。こともあろうに小学校の運動会で、骨折したからです。みんなが、「歳の所為だ」「若くないのに無理するな」などといいます。平衡感覚をつかさどる三半規管が老化し、鈍くなったという人もいます。しかし、本当に老化の所為でしょうか。私の三半規管は子どものころから鈍い。子どものころには乗り物酔いがひどかった。バスに乗っても直ぐ酔っていました。ひどいときにはブランコで酔っていました。大人になるに連れてバスや車では酔わなくなりました。慣れです。


三半規管でヒットしたのは

 歳の所為にされた悔しさから、インターネットで「三半規管」を検索しました。少年スポーツに関わるサイトがヒットしました。「川上コーチの少年野球コーチング」というサイトです。平衡感覚を高める練習方法の記述も興味深かったのですが、もっと注目すべき内容がありました。


アホでスカタンな指導者
 「アホで、スカタンな、指導者になりませんように。ユニフォーム着て野球する子が下手な訳が無い。下手な親やコーチが子供を下手にする。元阪急ブレーブス・世界の盗塁王・福本選手・直伝の言葉(この言葉が耳から離れない。)」。
 「スポーツ少年団は全国組織であり、生涯スポーツを楽しむためにあります。 スポーツの語源はラテン語で『苦楽を離れて楽しむ』というものです。 この生涯スポーツを楽しむための最初入り口がスポーツ少年団です。 勝敗を争う競技スポーツではありません。」
 「子供を誉めて育てよ。怒鳴るばかりでは萎縮してしまうばかりである。どなりつけて育つ子供は誰もいない。怒鳴ってばかりいる指導者は無能と見られている事を自覚すべし。怒鳴る指導者は自分の自らの指導方法の稚拙さを恥じるべし。強豪チームの監督コーチらは静かで寡黙である。」


少年スポーツの現実を見る
 息子がスポーツ少年団に入ってバレーボールをするようになり、自然と少年スポーツの現実を垣間見ることが増えました。息子の所属するチームが今年の夏、少年バレーボールの中国大会に参加しました。盆の真っ最中という、およそ日本人の感情にはそぐわない時期でしたが、蕎麦につられて出雲まで応援に行きました。


歳に関係ない 【古い指導者】
 この世界は野球に劣らず「古い指導者」がいます。それこそ歳に関係ありません。試合を見るより、その表情やしぐさを見るほうが興味深いぐらいです。広島から来たチームは、全員丸刈り頭でした。その監督は、ピンチでタイムを取ったのはいいのですが、集まった子らを前に足を組んで座ったまま、よそを向き、何も言いません。ふてくされている感じです。試合中に選手の失敗に対して怒鳴り散らす指導者は、そこらじゅうにいます。失敗するたびに選手がベンチの監督の顔色を伺います。指導者自身が冷静にビデオで自分の姿を見て欲しい。日常生活にはない姿のはずです。


なぜ怒鳴りふてくされるのか
 なぜ彼らはあのような態度を取るのでしょうか。私には理解できません。子らの成長を願っているからなのか。それなら、逆効果を指摘されればすぐに改めることができるはず。感情的になっているからなのか。冷静で教育的配慮がなければ指導者失格。勝負にこだわるからなのか。スポーツ少年団は勝敗を争うものではない。勝てば指導者自身の名声と満足が得られるからなのか。負ければ逆なのか。どう考えても「怒鳴る」「ふてくされる」余地はありません。


スポーツの指導者とは
 希望がわいたのは揖屋スポーツ少年団の若い指導者を見たときです。4年生主体で2年先を見据えているのか、頻繁に選手交替をして満遍なく選手を使っています。練習も決してきついボールではなく、やさしいボールで基本をしっかり反復させています。指導者がニコニコして、失敗した選手を励ましていました。勝ち負けにこだわらず、チームのレベルアップを主眼にしているのがわかりました。


楽しんでこそスポーツ
 スポーツは「苦楽を離れて楽しむ」ものです。とくに少年期のスポーツでは「楽しむ」ことが最も優先されるべきです。しんぶん赤旗日刊紙木曜日に連載される永井洋一さんの「子どもとスポーツ」も参考になります。
 自業自得ですが、自分のふつつかで、今年の秋はスポーツの楽しみが奪われてしまいました。しかし、その大切さを実感した秋でもありました。